ディエゴ・マラドーナ
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マラドーナのキャリア


西暦 年齢  
1960年 0歳 10月30日ブエノスアイレス郊外のビジャ・フィオリートに8人兄弟の5番目として生まれる。
※弟に日本でサッカー選手として活躍した「ウーゴ・マラドーナ」がいる。
1969年 9歳 アルヘンティノス・ジュニアーズのテストに合格。
ここで136戦無敗の伝説のチーム「セボジータス」が結成。
※小さなタマネギの意味
1970年 10歳 ボールボーイを務めていたトップチームのハーフタイムにリフティングショーを行い、大喝采を浴びる。
1976年 15歳 16歳の誕生日を迎える10日前(15歳11ヶ月)にアルヘンティノス・ジュニアーズでトップチームデビューを飾る。
1977年 17歳 16歳4ヶ月でアルゼンチン代表に招集。
ハンガリーとの親善試合に途中出場。
アルゼンチンのA代表最年少記録を樹立する。
1978年 18歳 経験不足を理由に自国開催されたワールドカップメンバーから外される。
メトロポリタンリーグ得点王。
1979年 19歳 日本で開催されたワールドユースで優勝。
大会最優秀選手に選ばれる。
メトロポリタンリーグ得点王。
ナシオナルリーグ得点王。
1980年 20歳 バルセロナとの移籍話が破談になる。
メトロポリタンリーグ得点王。
ナシオナルリーグ得点王。
1981年 21歳 幼い頃からの憧れだったボカ・ジュニアーズに移籍。
1982年 22歳 バルセロナへ移籍。
ワールドカップスペイン大会に出場するも、自身は退場になるなど不本意な成績に終わる。
12月にウイルス性肝炎にかかる。
1983年 23歳 ゴイコチェアに足を折られる。
3ヶ月の休養を余儀なくされる。
1984年 24歳 国王杯の決勝で派手な乱闘騒ぎを起こす。
クラブとの関係が悪化し、ナポリに移籍する。
お披露目会見ではヘリコプターからスタジアムに降り立ち、リフティングを披露した。
1985年 25歳 残留争いチームだったナポリをリーグ3位に導く。
1986年 26歳 メキシコワールドカップ優勝。
南米最優秀選手受賞。
世界最優秀選手受賞。
1987年 27歳 ナポリで初のスクデッドを獲得。
セリエA得点王。
ACミランのベルルスコーニから移籍をオファーされたが、拒否する。
1988年 28歳 コパイタリアで得点王を獲得。
1989年 29歳 UEFAカップ優勝。
クラウディアと結婚。※後に離婚。
1990年 30歳 ナポリに2度目のスクデッドをもたらす。
イタリアワールドカップでは準決勝でイタリアを倒しブーイングを浴びる。
決勝で西ドイツに敗れ、準優勝に終わる。
1991年 31歳 アウェーでのバリ戦の後に、ドーピング検査でコカイン使用が発覚。
15ヶ月間の出場停止処分が下される。
1992年 32歳 出場停止処分解除後にスペインのセビリアに移籍。
1993年 33歳 アルゼンチンのニューウェルス・オールドボーイズに移籍。
1994年 34歳 アメリカワールドカップに出場。
しかし、2戦目のナイジェリア戦後のドーピング検査で陽性反応。
大会から追放され、15ヶ月の出場停止処分が下される。
デポルティーボ・マンディージュ・デ・コリエンテスの監督に就任するもクラブの会長を殴り2ヶ月で辞任。
1995年 35歳 ラシンの監督に就任。しかし、4ヶ月で辞任。
出場停止が解除され、古巣ボカジュニアーズに復帰する。
1996年 36歳 バロンドール特別賞を受賞する。
1997年 37歳 アルヘンティノス戦後のドーピング検査でコカイン使用が発覚。
37歳の誕生日に現役引退を発表。
2000年 40歳 ウルグアイで心臓発作を起こす。
2001年 41歳 ボカジュニアーズのホーム「ボンボネーラ」で引退試合を行う。
「私はピッチの外では多くの間違いを犯したが、ピッチの中で間違いを犯したことはない。」との名言を残し引退。
2004年 44歳 薬物の大量服用で危篤状態になるが、一命を取り留める。
2008年 48歳 マラドーナの自伝映画「マラドーナ」が上映される。
2010年 50歳 メッシを擁し、南アフリカワールドカップに監督として出場するも、準々決勝でドイツに大敗する。
2011年 51歳 UAEリーグのアル・ワスルの監督に就任。
報酬は年間約13億円(990万ポンド)といわれている。
2012年 52歳 アル・ワスルの監督を解任される。